まったりと旅したい    

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2025/03/17

成田からハノイへ

  この記事では2023年10月に成田からハノイへ行った際のことを記載する。

 コロナ後初の海外旅行でほぼ4年ぶりの成田空港。鉄道の改札出た後の荷物検査スペースがなくなっていた。出発の2時間半前に到着してチェックインカウンターへ。今回はベトジェットでハノイまで。行列ができていたので25分程の待ち時間で搭乗券を入手。オンラインチェックインしてもしてない人と同じ列に並ばないとダメだった。Web搭乗券は印刷しないで大丈夫だった。

出国審査後にカードラウンジ行ったらプラチナ用でゴールドNGで入れず残念。成田2ビルの秋葉原は電化製品から民芸品、酒、土産用菓子等々売ってた。ただしマンガやメイドカフェがない。LCCなのでマツキヨで飲み物を購入。出国後なので免税。

エンジェルナンバーの搭乗口からベトジェットのハノイ行きへ搭乗完了!LCCなので狭いが、隣は大きい人でないので何とかなりそう。

ハノイの空からの眺めは低層の住宅地と緑と湖や川など水が豊富な景色が広がっていた。ハノイ郊外にあるノイバイ国際空港には遅れて着陸、機内で更に待たされ30分強の遅れ。入国審査に長い列ができていて抜けるのに更に30分。特に質問はなく35日の滞在許可。以前は確か15日だった。無事にベトナム入国!

ノイバイ空港からはオレンジの86番エアポートバスでハノイ駅へ向かう。運賃は45000ドン。乗車して待っていると出発前に集金に来る。Wifi使えてなかなか便利。

ここまでが成田からハノイまでの道のり。バスでハノイ駅近くまで行き初日は駅近くのホテルに宿泊して1日目が終わる。


2025/03/01

サイパンから成田へ

 空港まで行く公共交通機関がないためガラパン市内からタクシーで25USDでサイパン空港へ移動する。この空港はユナイテッドのオンラインチェックインで入手可能なWEB搭乗券がそのまま使える。最初にパスポートチェック、次に荷物検査で終了。出国審査はなかった。

空港ではハファディラウンジで出発を待つ。ユナイテッドと契約が無いようでスタアラゴールドでは入れずプライオリティパスで入場。格子柄のレザーソファがズラッと並んでいる。利用時はガラガラだった。食事は種類も量も少なく残念な印象。エアコン効き過ぎで寒い。

ユナイテッド航空UA824で成田へ向かう。成田からのUA825と同じ機材。復路ではエンタメシステ厶は止まっていた。離陸した後に税関申告書配布、食事提供。食事は味がイマイチ。気流が悪く離陸後1時間ほどシートベルト着用サインが出ていた。成田まで3時間半、ほぼ定刻通りの到着。

帰国後はプライオリティパスでおやつを食べて帰宅した。帰国日あたりに一部のクレカでレストランが対象外になる、回数制限が入るというアナウンスが出ていたのが記憶に残る。現状はレストランでも使わせてもらっているが正直ラウンジさえ回数無制限で使えれば良いと思っている。


サイパン最大の町ガラパンとその周辺

この投稿では日本統治時代は1万人以上の日本人が居住し南洋の東京と呼ばれていた。サイパンの西海岸にあるの最大の町ガラパンに残る日本人の残した物やその他、ガラパン周辺で訪問、見聞きした物について記載する。

人口増加に伴いドイツ統治時代の物が手狭になり1930年頃に建てられた日本統治時代の刑務所。監獄2棟と管理棟1棟に一部のコンクリート壁が残る。

日本統治下の1930年代にガラパン教会が建てられたが太平洋戦争で破壊された。現在は戦後に建てられた教会が建っている。敷地の端に日本時代に建てられた鐘楼が残っている。

ガラパン中心部には2つ日本統治時代のものを見かけた。南洋寺の門柱のみがクラウンプラザの南東の外壁に面して残されている。奉安殿は大日本帝國時代1910年代から終戦まで日本の小学校に設置され、教育勅語や天皇皇后の写真が収められていた。サイパンでは1935年に建てられた。壁には弾痕らしき痕が残っている。休業中の日本居酒屋の隣にある。

ここからは日本統治時代とは関係ないものを。

マイクロビーチはアメリカ記念公園を北端に1km続く遠浅の白い砂のビーチ。シュノーケリングしたが魚はほぼいなかった。ビーチに面したホテルに滞在していなければ公園や南洋寺の門柱のある小路から行くと良い。古代チャモロ人はこのあたりに集落を作っていた。

ガラパンには休業や空き店舗、廃墟が多くあり寂しい印象。1枚目の教会っぽい建物はカジノホテルだったが閉業。他にもガラパンには高級ホテルのハイアットがあったが閉業、フィエスタリゾートはクラウンプラザに変わっている。

マイクロビーチでシュノーケリングをした。そして東日本では店頭販売がないカールがかなり高価に売られていた。

サイパンでは日本製品が多く販売されていた。特にガラパンにあるHimawariスーパーマーケットは日本製品が多い。I❤️Saipanなど土産物も置いているスーパーでは日本製品より韓国製品の方が多い。サイパン土産にハングルが書いてあったら何故?ってなる気がするけど。

サイパン(ガラパン)にはレンタルサイクルがある。ひまわりホテルにて1日10ドル。別に20ドルデポジットが必要。自転車は6段ギアのシティサイクル。チェーンロック付き。出発前にタイヤに空気を入れてくれる。平坦な道を行くには問題なし。ブレーキなど自転車の使用感で気になる点はなかった。私は北の日本軍旧司令所跡やバンザイクリフに行くのに利用した。

自転車で向かったは良いもののスコールに降られてずぶぬれになったのも今となってはいい思い出。

タポチョ山はサイパンの最高峰。高さは473m。太平洋戦争では日米で争奪戦になった。頂上からは360°の眺望に風が吹いて気持ち良い。ガラパンから最短ルートを歩いて約100分。一本調子の上りではなく下りもあるので標高以上の高低差あり。

ガラパンから行く場合、分岐は2回。ガラパンからの舗装路を左の砂利道に曲がるのとキャピトルヒルからの道と合流した道を右に曲がるのみ。最初の分岐手前からふたつ目の分岐の間は放し飼いの犬が多いので犬が怖い人はキャピトルヒルを経由するルートが良い。戻りは同じルートを暑さでバテて80分也。

がラパンで公共バスを見かけた。観光スポット巡りには厳しそうだがガラパンから南部のススペ、チャランカノアなどに行くには使えそう。ルートなどは以下URL参照。https://transit.cnmi.gov
空港最寄りのバス停から片道2km。身軽ならバスで途中まで、歩いて空港向かうのもありか

ガラパンの繁華街は閉まった店が多く寂れている印象を受けた。コロナで遠のいた客足がまだ戻っていないようだ。タクシー運転手が言っていたが日本人は少なくて韓国人と中国人が多いそうだ。日本からはユナイテッド航空の直行便があるが確かに沖縄行く方が安いしな。過去の旅人のブログなど見たがコロナ前にスカイマークが直行便を飛ばしていた頃の旅行記が多かった。そこで紹介されていた飲食店が閉店していて物悲しい気持ちになったっけ。日本人が少なめの南の島へ行きたい人は良いかもしれない。

サイパンに残る太平洋戦争の爪痕

 サイパンと隣のテニアンはB29で日本を攻撃するのに適した立地でありそれを入手したいアメリカ軍と絶対国防圏として意地でも阻止したい日本軍の間で太平洋戦争後期の1944年6月から7月にかけてサイパンの戦いがあった。ここではサイパンの戦いの戦跡や慰霊のために戦後建てられた碑などを取り上げる。

島の北側、バンザイクリフの南に旧日本軍サイパン司令部跡がある。サイパン戦で最後に司令部が置かれた場所。司令官はここで自決した。入口には複数の高射砲が展示され、階段を上り狭い入口から入るとコンクリート壁の広く薄暗い部屋に出る。コンクリは経年で劣化が進んでいた。

旧日本軍司令部のすぐ近くに中部太平洋戦没者の碑がある。サイパンだけでなく中部太平洋戦没者の慰霊碑だ。平成天皇皇后両陛下(当時)が慰霊のため訪れた際に残された歌碑が建てられている。

バンザイクリフは太平洋戦争でサイパン陥落の際に多くの日本人が身投げした崖。崖下に大量の遺体が浮き、航行中の船のスクリューに絡まる程だったそうだ。柵があり真下を見ることはできなかったが辺りは石灰岩の断崖絶壁が続いている。現在崖の上に多くの慰霊碑が建てられている。

バンザイクリフの記念碑エリアの近くにサイパン法性寺が建っている。管理者はいないのか草が生い茂り、窓が破れて荒れている。

サイパン戦では空港を巡って日米で激しい戦いが行われた。空港周辺には慰霊碑と旧日本軍の残骸が残されている。タクシードライバーがこの辺りの古い建物は日本軍のだと言っていたが壁に弾痕がない建物が多くアメリカ占領以降に建てられたものが多そう。

ここで取り上げていないが各所に戦車の残骸、要塞跡が残っている。太平洋戦争から約80年、色々と考えさせられる。

サイパンに残る南洋興発の遺構

 南洋興発は戦前に南洋諸島の開発を行った準国策企業。第一次世界大戦の結果でドイツの統治下にあったサイパン、テニアン、パラオ、マーシャル諸島などが含まれる南洋諸島が日本の委任統治領になった。サイパンでは製糖業を行い島内各地のサトウキビ農園から軽便鉄道でチャランカノアの工場に集めていた。今は失われた工場の煙突は当時のシンボルの様だった模様。現在当時の社宅など残骸が残されている。

戦争にて製糖工場は破壊され跡地にはマウントカーメル教会が建てられている。マウントカーメル教会の裏手に墓地があるその付近が南興神社のあった場所だ。2010年代前半には石鳥居が立っていたが現在は撤去されている。残っているのは石灯籠の脚と石鳥居の基礎のみ。

西側に海がありシュガードックと呼ばれる港から南洋興発の製糖工場で作られた砂糖は積出されていた。今の桟橋はここ1年ほどで新しく造られた模様。太平洋戦争のサイパン戦では米軍はこの辺りから上陸した。上記X投稿の返信に周辺の写真を添付しているので興味があれば。

シュガードックからマウントカーメル教会へ向かう途中の交差点の一画に小さな石碑が複数設置されている。米軍のチャランカノアの上陸を阻もうとした大隊、太平洋戦争で亡くなった人々の慰霊碑だ。背の高い雑草はなく誰かが手入れをしている模様。

サイパン最大の町ガラパンの外れに砂糖王公園が今も残る。日本統治時代は彩帆(サイパン)公園と呼ばれていた。日本統治時代に設置された南洋興発の創業者松江春次の銅像が残されている。像は戦争でほぼ被害がなかった模様。入口には鳥居が立ち公園内に彩帆香取神社がある。日本統治時代に設置され、戦争で消失、戦後に再建された鳥居、灯篭、狛犬、拝殿があり一番奥の階段の上に石造りの小さな社が鎮座している。その他、南洋興発がサトウキビ運搬に利用していた蒸気機関車が展示されている。






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