京都の仏閣巡りの後、鉄道の旅へ(2012年1月4日)   

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2018/05/21

京都の仏閣巡りの後、鉄道の旅へ(2012年1月4日)


夜中ふと目が覚める。時計を見ると三時半。二度寝しようと目をつぶると外から女性の声で鼻唄が聞こえてくる。次第に音が大きくなり、少しずつ小さくなってやがて消えた。気味が悪かった。

出発は八時半ごろ。昨日行きそびれた西本願寺と東寺に寄ってから電車旅をする。

西本願寺はいつ見ても大きい。始めて訪れたのは中学校の修学旅行。そのときから印象は変わらない。装飾の見事な唐門と端正な造りの書院を外から眺めてから読経の音がする御影堂へ入る。僧侶や信徒らしき人々が鏡おろしの儀式をしているようだ。読経はすぐ終わってしまい、彼らは他のお堂へ移動してしまった。

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西本願寺の本堂にて

そして東寺。年始ということで五重塔の一階と観智院が特別公開中とのこと。二つ合わせて拝観料一三〇〇円也。このペースだとすぐに金がなくなりそう。

まず五重塔の一階へ。中央の祭壇に金色の四仏坐像が安置されている。祭壇の四方を囲む柱は彩色が残っていて元々絵が描かれていたようだ。保存状態が悪く何の絵があったか判別できない。壁には保存状態のよい高僧の絵。外壁に沿って立つ柱には簡素な配色の龍が描かれていた。

次に大きな像が三体安置されている金堂を見て、講堂へ。ここには全二一体の仏像が安置されていて、一五体が国宝。如来を中心に左右を菩薩と明王が固め左右の端を四天王と凡天、帝釈天が守っている。

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東寺の五重塔

入堂するとまず弱いライトに照らされた荒々しい持国天が目を引く。二一体の仏像が厳かなお堂の中にならんでいるのは雰囲気があっていい。穏やかな顔で像に乗った帝釈天、憤怒の表情で牛に乗っている大威徳明王に面白さを感じた。

大師堂を経て観智院へ。ここには剣豪宮本武蔵が描いた鷹と竹林の襖絵が残っている。彼はここに数年滞在していたらしい。こういった絵も描けるとは意外だ。他にも枯山水の庭、人間離れした顔でそれぞれ動物(カルラ、孔雀、馬、牛、象)に乗っている唐時代の中国からの伝来品という五体の仏像が印象に残る。

時間は既に十一時過ぎ。京都駅へ行きふらりと電車に乗ることにする。

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京都駅に停車していた奈良線車両

まずは湖西線で敦賀へ向かう。京都を出たときは立ち客もいたが、山科でかなり下車。進むにつれてどんどん乗客は少なくなっていった。進行方向右手には琵琶湖が見える。光が反射して美しい。近江高島のあたりから路面にまばらに雪が見えるようになり、近江今津まで来ると雪景色だった。近江今津で半分の四両を切り離し敦賀まで雪景色の中を進む。

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近江今津からは雪景色

敦賀からは小浜線で福知山まで行く。乗り継ぎが悪く次の東舞鶴行きは五〇分後。時間があるので駅前を歩く。一般的な地方都市と同じで商店街があるが人通りは少ない。駅近くの食堂に入ると客が私だけ。薄味の親子丼を食べて駅に戻る。写真を何枚か撮ってからホームで待っていた西舞鶴行きに乗り込む。雨が降り始め、雪になり、再び雨になって、強くなり、弱くなりを繰り返す不安定な天候の中列車は西へ進んだ。

途中、白い荒波をたてる日本海、穏やかな若狭湾が進行方向右手に見える。人が少しずつ減ったり増えたりし終点の東舞鶴に到着する。

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車窓からは雪景色

東舞鶴は曇っていた。待ち時間が四〇分あるため駅近くのスーパーで夕食と夜食の調達。今日はこの後、福知山経由で京都に戻り、さらに米原経由で大垣まで行き、夜行で東京へ帰る。あまり時間に余裕がない。

駅に戻ると突然暗くなり大粒の雪が強い風と共に吹き付けてくる。首都圏で同じ天候になると鉄道網は大混乱だが雪国の鉄道は少し遅れはするが粛々と運行を続ける。

福知山行きの普通列車は定刻通りに発車した。雪がしんしんと降るなか進む。綾部に到着すると対向列車が雪で遅れているため発車が遅れるとのアナウンス。福知山では乗り換え時間が一〇分弱しかないため、もしかしたら戻ってこれないかもしれないと予定を変えて下車することに。

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雪降る綾部駅にて

大粒の雪が降るなか、三〇分の待ち合わせ。このまま遅れて夜行に間に合わなくなるんじゃないかと思ったが何だかどうでもいいような気になっていた。ほぼ定刻通りに園部行きの列車はやってくる。しかし、対向列車の遅れのため一〇分ほどホームに停車していた。

止む気配のない雪の中を列車は走り始める。雪に伴う遅れで車両が詰まっているのだろう、駅に到着すると対向列車が待っていることが多かった。単線だと運行に融通が効かないので大変なのだろうな。

園部には五分ほど遅れて到着したが、本来発車しているはずの接続列車が待っていた。人の移動が終わると待ってましたといわんばかりに列車はドアを閉めて発車する。敦賀からずっと二両編成だったのが八両編成に。京都都市圏に戻ってきたのだと実感する。

雪は降ったり止んだりを繰り返していた。京都で琵琶湖線の新快速に乗り換え米原まで。米原からは各駅停車で大垣へ。やはり雪は降ったり、止んだり、積もったり、積もらなかったり気まぐれな天気だ。

大垣では駅近くのコンビニでカップラーメンを買い駅のコンコースの端で座って食べる。ムーンライトながらの乗客だろうか、大きな鞄を持った人が駅構内で何人もたむろしていた。

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この日の晩飯

快速豊橋行きが発車すると十両編成の夜行列車が入線してくる。寒さに震えていた乗客がざっと乗り込むと列車はベルの音と共にドアを閉め発車する。

大垣出発時には私の乗った車両で乗車率が8割以上。往路とは随分状況が違うな。名古屋で雪のため遅れた人を待つために30分強停車。日付の変わる少し前に発車する。豊橋停車後に意識がなくなり気付くと三島に停車していた。

今日は随分と足元が冷える。網棚の上のリュックから毛布を出そうかと思ったが狭いので我慢して上着を脱いで足にかける。これでだいぶ暖かくなった。

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東京駅に到着

再び意識を失い、次に気がついたのは国府津。緑のラインの駅名表示盤を見てJR東日本管内にもどってきたのだと実感する。横浜、品川と順に停車し終点の東京には定刻通り到着する。少しぼっとした寝足りない感じ。在来線を乗り継いで家に帰るか。



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