今朝の起床は四時過ぎ。寒くて寝ていられないので始発で出掛けることにした。テントをたたんで出発しても駅についても外は暗いまま。駅で電車を待っている間も夜は明けず発車して少し経つとほんのり空が白み始めてくる。

ホームで始発を待つ
須坂発、湯田中行きの始発列車は乗客が私の他に長野電鉄の職員の二人だけ。信州中野で彼らが降りると乗客が私一人になった。途中まばらに人が乗ってきたが車内はさみしいまま。終点の湯田中には六時過ぎに到着。駅の外は朝市の準備でポツポツと人がいた。
湯田中は温泉街になっているようだ。ここからバスで数百円で温泉に入る猿で有名な地獄谷温泉に行けるらしい。ちょっと惹かれたが長電の電車を撮りに来たんだと、当初の目標を思いだし断念。駅からは自転車で川を渡り、少し上り坂を走る。すると周辺にリンゴ畑が広がり、少し進むと神社がある。ここは本殿が重要文化財なのだが、本殿がコンクリートの建物に覆われていて全く見ることができなかった。せっかく来たのに残念。

河川敷で光を浴びて光るすすき
湯田中の次は信州松川駅で常楽寺に行ったが、どうも行きたかった寺とは名前だけが一緒だったようでこれまた残念な結果に。事前の調査不足がやっつけだから仕方ないか。。。
自転車で信州中野駅まで行き電車を撮るため朝陽駅にて下車。稲穂と電車の組合せで撮ることにした。一本目の撮影でいきなり本命の2000系D編成登場。三両編成が思ったよりも長く構図を見誤った。惨敗だ。。。

稲穂と2000系D編成
その他初代成田エクスプレス、古いロマンスカー、昔の日比谷線、東急の新しい車両を撮りつつ折り返してくるD編成を待つ。この日は天気が良かったので撮り鉄の人も五、六人いた。もっと人が多いと思っていたがそれほどではなくラッキー。

花と2000系D編成

長電で走る東急の車両
ここには約二時間の滞在。あんまりいいの撮れなかった。朝陽駅からD編成に乗り須坂駅へ戻る。撮るだけじゃなくて乗らないとね。D編成は古い車両だが後付けでエアコンも入っていて快適な印象。座席の配置が面白く二人掛けの座席が車両中央を向いて並んでいて、真ん中で向かい合わせになっている。海外だとベトナムやトルコで見た方式だが日本でも昔はこうだったのかもしれないな。

2000系D編成車内
須坂からは屋代線に乗り換え真田家で有名な松代まで行く。ただ、乗り継ぎ時間が一時間弱あったので駅の近くで昼食にすることに。駅前で店を探したが見つからず。スーパーでおにぎりを買って昼食にした。
来年三月で廃線が決定している屋代線に揺られること約二〇分、木の温もりが残る古い駅舎が特徴的な松代に到着する。この時間に電車は一時間ないし一時間半に一本程度しかないのでゆっくり見て回ることにしよう。

松代駅
ここでは松代藩初代藩主真田信之の霊廟や真田家代々の墓のある長国寺、二代目藩主の霊廟のある西楽寺、江戸時代に建てられた武士の家旧横田家、海津城址を自転車で周った。
長国寺では拝観料を払いガイド付きにて霊廟や墓所へ。豪華絢爛な初代の隣に建つ四代目の霊廟の質素さと、五代目以降は資金難のため霊廟建設を止めたという松代藩の没落っぷりに涙。

初代霊廟
ちなみに三代目の霊廟は明治時代に火事で伽藍が焼失した際にお堂として再利用されてしまったらしい。今では開山堂として歴代の住職をまつっているとのこと。三代目かわいそう。。。
真田家代々の墓に関ヶ原の戦いの際に徳川軍の主力を足止めして有名な昌幸、真田十勇士で有名で大阪の陣にて豊臣方についた幸村など、徳川と敵対した人物は死後一〇〇年以上経って、ようやく歴代の墓の中に慰霊碑を置くことを許されたとのこと。徳川を苦しめた真田家にとって江戸時代って居心地が悪かったんだろうな。それでも取り潰しにならなかったのはさすが真田ということか。

松代駅のホームにて
松代には約二時間滞在した。そして長電屋代線で終点の屋代まで行く。長電の屋代駅には松代と同じく味わいのある木造の待合室がある。隣のしなの鉄道の味気ない鉄筋コンクリートの駅舎と比較すると尚更そう感じる。廃線は残念だなあ。

長電屋代駅の待合室
行きと同じルートで帰って、今度は碓井峠を下ろうと考えていたが、時間は既に一六時過ぎ。今から軽井沢に行っても到着は一八時頃。暗くて寒くなるので断念して上田から新幹線で帰ることにした。
長野始発のあさまの自由席は満員。上野まで立ちと思っていたが、運の良いことに二駅後の軽井沢から座ることができた。軽井沢でかなり乗客が乗ってきて、通路が人で一杯になる。
新幹線は約一時間半で上田から上野に到着する。行きと違って速すぎ。旅情も何もあったもんじゃないなぁ。こうして三日間の長野の旅は終わった。碓氷峠の上りの辛さと、夜の寒さが印象に残る旅であった。
ホームで始発を待つ
須坂発、湯田中行きの始発列車は乗客が私の他に長野電鉄の職員の二人だけ。信州中野で彼らが降りると乗客が私一人になった。途中まばらに人が乗ってきたが車内はさみしいまま。終点の湯田中には六時過ぎに到着。駅の外は朝市の準備でポツポツと人がいた。
湯田中は温泉街になっているようだ。ここからバスで数百円で温泉に入る猿で有名な地獄谷温泉に行けるらしい。ちょっと惹かれたが長電の電車を撮りに来たんだと、当初の目標を思いだし断念。駅からは自転車で川を渡り、少し上り坂を走る。すると周辺にリンゴ畑が広がり、少し進むと神社がある。ここは本殿が重要文化財なのだが、本殿がコンクリートの建物に覆われていて全く見ることができなかった。せっかく来たのに残念。
河川敷で光を浴びて光るすすき
湯田中の次は信州松川駅で常楽寺に行ったが、どうも行きたかった寺とは名前だけが一緒だったようでこれまた残念な結果に。事前の調査不足がやっつけだから仕方ないか。。。
自転車で信州中野駅まで行き電車を撮るため朝陽駅にて下車。稲穂と電車の組合せで撮ることにした。一本目の撮影でいきなり本命の2000系D編成登場。三両編成が思ったよりも長く構図を見誤った。惨敗だ。。。
稲穂と2000系D編成
その他初代成田エクスプレス、古いロマンスカー、昔の日比谷線、東急の新しい車両を撮りつつ折り返してくるD編成を待つ。この日は天気が良かったので撮り鉄の人も五、六人いた。もっと人が多いと思っていたがそれほどではなくラッキー。
花と2000系D編成
長電で走る東急の車両
ここには約二時間の滞在。あんまりいいの撮れなかった。朝陽駅からD編成に乗り須坂駅へ戻る。撮るだけじゃなくて乗らないとね。D編成は古い車両だが後付けでエアコンも入っていて快適な印象。座席の配置が面白く二人掛けの座席が車両中央を向いて並んでいて、真ん中で向かい合わせになっている。海外だとベトナムやトルコで見た方式だが日本でも昔はこうだったのかもしれないな。
2000系D編成車内
須坂からは屋代線に乗り換え真田家で有名な松代まで行く。ただ、乗り継ぎ時間が一時間弱あったので駅の近くで昼食にすることに。駅前で店を探したが見つからず。スーパーでおにぎりを買って昼食にした。
来年三月で廃線が決定している屋代線に揺られること約二〇分、木の温もりが残る古い駅舎が特徴的な松代に到着する。この時間に電車は一時間ないし一時間半に一本程度しかないのでゆっくり見て回ることにしよう。
松代駅
ここでは松代藩初代藩主真田信之の霊廟や真田家代々の墓のある長国寺、二代目藩主の霊廟のある西楽寺、江戸時代に建てられた武士の家旧横田家、海津城址を自転車で周った。
長国寺では拝観料を払いガイド付きにて霊廟や墓所へ。豪華絢爛な初代の隣に建つ四代目の霊廟の質素さと、五代目以降は資金難のため霊廟建設を止めたという松代藩の没落っぷりに涙。
初代霊廟
ちなみに三代目の霊廟は明治時代に火事で伽藍が焼失した際にお堂として再利用されてしまったらしい。今では開山堂として歴代の住職をまつっているとのこと。三代目かわいそう。。。
真田家代々の墓に関ヶ原の戦いの際に徳川軍の主力を足止めして有名な昌幸、真田十勇士で有名で大阪の陣にて豊臣方についた幸村など、徳川と敵対した人物は死後一〇〇年以上経って、ようやく歴代の墓の中に慰霊碑を置くことを許されたとのこと。徳川を苦しめた真田家にとって江戸時代って居心地が悪かったんだろうな。それでも取り潰しにならなかったのはさすが真田ということか。
松代駅のホームにて
松代には約二時間滞在した。そして長電屋代線で終点の屋代まで行く。長電の屋代駅には松代と同じく味わいのある木造の待合室がある。隣のしなの鉄道の味気ない鉄筋コンクリートの駅舎と比較すると尚更そう感じる。廃線は残念だなあ。
長電屋代駅の待合室
行きと同じルートで帰って、今度は碓井峠を下ろうと考えていたが、時間は既に一六時過ぎ。今から軽井沢に行っても到着は一八時頃。暗くて寒くなるので断念して上田から新幹線で帰ることにした。
長野始発のあさまの自由席は満員。上野まで立ちと思っていたが、運の良いことに二駅後の軽井沢から座ることができた。軽井沢でかなり乗客が乗ってきて、通路が人で一杯になる。
新幹線は約一時間半で上田から上野に到着する。行きと違って速すぎ。旅情も何もあったもんじゃないなぁ。こうして三日間の長野の旅は終わった。碓氷峠の上りの辛さと、夜の寒さが印象に残る旅であった。
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