サラーラ観光   

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2019/01/19

サラーラ観光

サラーラのメイン通り。超高層ビルはなく一〇階程度のビルが並ぶ
サラーラのメイン通り。超高層ビルはなく一〇階程度のビルが並ぶ

サラーラと言えば世界遺産「乳香の道」関連の訪問がメインになると思う。これらの遺跡は車がないとアクセスしにくい場所にあるのが節約思考の旅人には困るところだ。

二〇〇三、四年位まではここを経由してイエメンに入る旅人もいたようだが現在はイエメンの情勢が悪く国境は閉ざされているようだ。

以下、私の訪問した場所の感想など

[コール・ルーリのサムフラム遺跡]

コール・ルーリのサムフラム遺跡
コール・ルーリのサムフラム遺跡

紀元前三世紀から紀元後五世紀にかけて乳香などの貿易で栄えた港町。往時は町をぐるりと城壁で囲っていたそうだ。現在一部の城壁など復元されている。

石積みの壁はセメントで固められていたが表まではみ出ないようには気を使って修復しているようだ。

遺跡は高台にあり海や入江を眺めることができる。海までの坂を上り下りして船に荷物の積み卸しをしたのだろう。最初、入江を池だと思ってこれが有名なオマーン池かと思ったら海で残念。

遺跡の脇には無料の双眼鏡が置かれていた
遺跡の脇には無料の双眼鏡が置かれていた

無料の双眼鏡が設置されていたがアングルをほとんど変えられず何のために置いてあるのか良くわからなかった。

遺跡から少し離れた場所に小さい博物館がある
遺跡から少し離れた場所に小さい博物館がある

近くに小さい博物館があり遺跡のミニチュア、炭化した鉄の剣、亀の甲羅の盾、土器や装身具などサムフラム遺跡の出土品が展示されていた。

私が行った方法については別記事で。

[アル・バリード遺跡]

アル・バリード遺跡は広い敷地に遺跡が点在している
アル・バリード遺跡は広い敷地に遺跡が点在している

青銅器時代の紀元前二五〇〇年前から人が住み始め、鉄器時代を経て五世紀から六世紀にかけて町が形成されたそうだ。八世紀半ばから一〇世紀半ばの間で貿易都市としての地位を確立し、その後イブン・バットゥタ、マルコポーロなどの著名な冒険家も立ち寄った。インド、アフリカなどの比較的近い場所から遠くは中国と貿易を行っていた。

開館時間は金土は一五時から二一時まで、それ以外の曜日は九時から二一時まで。金曜の一二時半頃に到着したので随分待たされる羽目に。近くには何もないので日陰で座って待っていた。

博物館を含めた入場料は二リアル。チケット売場の兄ちゃんにどこから来たか聞かれたので日本と答えるとサッカー云々話していた。オマーンとそんなに対戦したっけ?

アル・バリード遺跡はアラビア海に面していて往時は貿易港として栄えた
アル・バリード遺跡はアラビア海に面していて往時は貿易港として栄えた

兎に角広い遺跡。壁に囲まれた範囲が広く往時はかなり大きな町だったと考えられる。公園内には発掘&修復された遺跡が点在している。見応えがあるのは東の外れにある城とその近くにある数十本もの柱が建てられたモスク跡か。南は海岸に面していて灰色の砂と少し濁ったアラビア海が迎えてくれる。砂浜にはほとんど人がおらず海水浴をするには良さそうだ。

野良犬が陣取っている遺跡があり有無を言わせずワンワン吠えられた。有料公園なのだから勘弁してもらいたい。

アル・バリード遺跡にある博物館
アル・バリード遺跡にある博物館

博物館は船、出土品など建物ごとに展示がわけられていて乳香の展示はわずか。入口入ってすぐの場所に何本か乳香の木が植えられている。

[ゴールド・スーク]

ゴールド・スークと言いつつシルバーを扱う店も多い
ゴールド・スークと言いつつシルバーを扱う店も多い

金以外にも銀も劇押しの貴金属品店が立ち並ぶ一角。サラーラ市内にあり。黒ずくめの恰幅の良いおばさま達が品定めをしていた。

[公営市場]

野菜を売る区画
野菜を売る区画

バス会社のオフィスが集まる一画にある。魚、肉、野菜など区画分けされて売られている。海沿いの町だからか大小様々な魚が売られていて見ていて楽しい。

コーヒーショップの集まる一画がありプラスチックのテーブルと椅子が並べられている。小さい紙コップのコーヒーが一杯一〇〇バイザ。砂糖がたっぷり入ってかなり甘い。

モスクに入りきらなかった人々が外でお祈りをしていた
モスクに入りきらなかった人々が外でお祈りをしていた

コーヒー飲みつつ休んでいたらアザーンが鳴り始め近くのモスクに人が集まり始めた。モスクに入らない人々は外に敷物をひいて参加している。立つ、中腰、立つ、ひざまずいて額を付けて礼、立ってまた始まっていつの間にか終わっていた。異文化の礼拝を見るのは非常に興味深い。
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この前に訪問したニズワと比較するとサラーラはちゃんとした町で、ニズワでは少なかったインド系の人々が多く生活していた。そのため安いインド料理屋も多く、宿もニズワやマスカットと比べると安いためオマーンの物価を考えると比較的安く滞在しようと思えば可能な町。東南アジアと比べたらかなり高いけどお国柄仕方ない。

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