サイパンに残る太平洋戦争の戦跡・バンザイクリフや旧日本軍司令部アクセス観光まとめ

2025/03/01

サイパン旅行記 北マリアナ諸島

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 2024年8月にサイパンを訪問した。この記事ではその際に訪問した太平洋戦争の遺構(旧日本軍サイパン司令部跡・バンザイクリフ・法性寺・サイパン空港周辺の戦争遺跡)へのアクセスや感想について記載している。

※2024年8月の情報です

サイパン戦

 サイパンと隣のテニアンはB29で日本を攻撃するのに適した立地でありそれを入手したいアメリカ軍と絶対国防圏として意地でも阻止したい日本軍の間で太平洋戦争後期の1944年6月から7月にかけてサイパンの戦いがあった。

この記事ではサイパンの戦いの戦跡や慰霊のために戦後建てられた碑などを取り上げる。

サイパン島北部にある戦争遺跡

ガラパンからサイパン北部の戦跡へのアクセス

島の北側にバンザイクリフや旧日本軍サイパン司令部跡がある。島の北側を走る公共交通機関がないのでタクシー・レンタカー・レンタルサイクルなど自力で移動手段を確保する必要がある。私はレンタルサイクルで移動した。レンタルサイクルを借りられるガラパンからは直線距離で約12.5km。北東へ向かうルート30を進む。左右には廃墟になったリゾートホテルやショッピングモールがあり物悲しい気分になった。道には多少の坂はあるがアスファルトで舗装されており無理なく到着できた。かなり北へ行くと雨宿りする場所がなく大雨が降ってきたのは辛かった。路肩に自転車を停めて傘をさして耐えた。雨の時期は傘/レインコートなどの雨具を持って行った方が良い。

旧日本軍サイパン司令部跡(ラストコマンドポスト/Last Command Post)

ルート30を左に曲がるバンザイクリフロードを過ぎて右側にある。サイパン戦で最後に司令部が置かれた場所。司令官はここで自決したそうだ。

入口には太平洋戦争期の複数の高射砲が展示され、階段を上り狭い入口から入るとコンクリート壁の広く薄暗い部屋に出る。コンクリは経年で劣化が進んでいた。

旧日本軍司令部のすぐ近くに中部太平洋戦没者の碑がある。サイパンだけでなく中部太平洋戦没者の慰霊碑だ。平成天皇皇后両陛下(当時)が慰霊のため訪れた際に残された歌碑が建てられている。

バンザイクリフ

ルート30からバンザイクリフロードへ曲がり突き当りまで行くと多くの慰霊碑がある場所で突き当たる。バンザイクリフは太平洋戦争でサイパン陥落の際に多くの日本人が身投げした崖。崖下に大量の遺体が浮き、航行中の船のスクリューに絡まる程だったそうだ。

柵があり真下を見ることはできなかったが辺りは石灰岩の断崖絶壁が続いている。現在崖の上に多くの慰霊碑が建てられている。

バンザイクリフの記念碑エリアの近くにサイパン法性寺が建っている。管理者はいないのか草が生い茂り、窓が破れて荒れている。

サイパン空港周辺の戦争遺跡

サイパン空港は太平洋戦争時はアスリート飛行場と呼ばれサイパン戦では飛行場を巡って日米で激しい戦いが行われた。空港周辺には慰霊碑と旧日本軍の残骸が残されている。タクシードライバーがこの辺りの古い建物は日本軍のだと言っていたが壁に弾痕がない建物が多くアメリカ占領以降に建てられたものが多そう。

その他の戦争遺跡

ここで取り上げていないが各所に戦車の残骸、要塞跡が残っている。太平洋戦争から約80年、色々と考えさせられる。

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