二〇一九年四月にナポリからポンペイ遺跡を経由しパエストゥム遺跡を訪問した。パエストゥムは元々ポセイドニアと呼ばれ紀元前六世紀にギリシア人の植民都市として創建され、途中ローマ人の町となり三世紀に滅んだ。この記事ではパエストゥムの駅から遺跡入口までの移動と遺跡について記載する。
駅から遺跡へ伸びる一本道
パエストゥムの駅は無人駅だが時刻表や自動販売機があるのでナポリへ戻る電車の時間を確認するのをお勧めする。確認した結果、そこそこ本数があるので数時間は滞在できそうだ。外に出ると何もなくてびっくり。遺跡へは駅からまっすぐ伸びる一本道を一〇分弱歩くとT字路に突き当たり正面には遺跡が広がっている。
パエストゥム遺跡の博物館
T字路を右方面に進むと博物館があり、そこで遺跡の入場券を購入できる。博物館と遺跡で一二ユーロ。クレジットカード払い可能だった。博物館に向かう途中や周辺には土産物屋や食べ物屋が軒を並べ、観光客で賑わっている。
有名らしい棺の上に描かれている飛びこむ男の絵
博物館には遺跡の出土品が展示されている。土器などの各種道具、神殿に飾られていた飾り、武具などが展示されている。他にこの博物館での見所は内部に絵の描かれた石棺の展示だと思う。馬で畑を耕す姿、戦士が戦う姿、馬の引く古代の戦車の姿、踊る女性の姿などが描かれ往時の人々の生活に思いを巡らすことができる。
パエストゥム遺跡に残るケレス神殿
博物館近くの入口から入ると右側に擬石足木のどっしりとした柱が並んだケレス神殿が見える。紀元前六世紀ごろに建てられたそうだが保存状態も良好!テンションが上がる。
ネプチューン神殿の内部
パエストゥムには状態の良いギリシア神殿が他に二つもある!三つの中で最も大きいのはネプチューン神殿だ。近年の調査によると実際は医療を司るアポロ神殿だったようだ。
神殿と神殿の間は町の中心部だった
遺跡の南北の端に神殿があり、その間に旧市街地の瓦礫が広がっている。赤い色の帽子をかぶった高齢の団体客、家族連れ、若いカップルなど遺跡を訪問する人はそれなりにいたが広いので混雑している感じはしない。
ギリシア植民時代の集会場跡
ギリシア人が統治していた時代に造られた集会場の跡が残っている。ローマ人の侵略を受けた後に集会場は壊されてローマの豊穣の女神ボナの神殿に建て替えられたようだが現在はギリシア植民時代の姿に戻されていた。
遺跡沿いの観光客向けの店が並ぶ通りは混雑していた
遺跡をぐるっと回って入場したのと同じ出入り口から遺跡公園の外へ。校外学習だろうか学生っぽい集団がたむろしている。土産物屋の店先には観光客が品定めのため足を止め、アイス屋の前で若い女性の集団が出来上がるのを待っていた。
博物館と遺跡での滞在時間は約二時間。もっと忙しないと思っていたが思っていたよりゆっくりできた。朝早く出発すればナポリからポンペイとパエストゥムを一日で問題なく回れると思う。もし同じ旅程を考えている人がいたら参考までに。ただし、かなり疲れるとは思う。
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